私が子供の頃は毎年12月に入ると両親が大きなクリスマスツリーをたててくれました。ツリーの下にはアメリカの家族や親戚、友人から届くプレゼントを飾っていくので、毎日プレゼントが増えたかどうか楽しみに過ごしたものです。

たまに両親がいただいたお歳暮まで可愛くラッピングして量増しに並べていたりして、1個だけあけていいイブの日にうっかり缶ジュースや洗剤の盛り合わせを選んじゃうとガッカリ。
(写真下:なぜか毎年クリスマスに虫歯に悩まされていた私)

そんな「クリスマスツリーのあるお寺」が近所でちょっとした話題だったことは、大人なってから同級生にそっと教えてもらいました(笑)。村のお檀家さんも外国からやってきたアメリカンな住職一家に寛容だったんですね。
そんな田舎で過ごし始めたクリスマスでしたが、今でも家族全員で号泣してしまう心温まる話があります。
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東京は青山で生まれ育った母。
思春期をカリフォルニアで謳歌し、アメリカで出会った父と結婚。娘2人(私と姉)を出産した頃にはアメリカンな生活にどっぷり使っていた毎日。父とともに福井県のお寺にやってくることになったときは格好も言葉もすっかり外人でした。
市内までは車で1時間もかかる田舎で、右も左もわからないまま大雪に囲まれて過ごす初めてのクリスマス。もちろんイルミネーションもなけれはホームパーティーもありません。あまりのギャップに心細かった私たち一家を元気づけるように、アメリカから持ってきたツリーやテーブルクロス、キャンドルで家中を飾り付けていた母が最も心細かったに違いありません。
そんな25日の朝のこと。
降り積もる雪の中を80歳を超える村のオババさんがお寺にいらっしゃって「奥さんは外人やでクリスマスケーキがないと寂しいやろう。ここらは田舎やでなんもないでのう。堪忍ね。」とクリスマスケーキをプレゼントしてくれたのです。
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家族にとって1番心細かったクリスマスが1番心に残るクリスマスになったマジックでした。そんな風に想っていてくださったという気持ちが何よりも嬉しいプレゼントですよね。それにしても、オババさんがどうやってクリスマスのことを知って、どこまでケーキを買いに行ったのか、どれだけの労力だったかと今でもクリスマスになると家族で話をしています。

今年は家族のことを考えるたびに行く先々で買っていた小物を詰め合わせてプレゼントにしました。会えなかった時間が長い分、小物の数が多くなった気がします。
ちなみにある年はクリスマスカードが全く同じだったこともある血の濃い姉と先週ちょっと早いクリスマスディナーをした際、「せーの」でプレゼント交換をしたら、姉からのプレゼントも同じようにいろんなものの詰め合わせでした。育った環境によるものでしょうか。想いの表現がかぶるんですよ。
想ってくれてた時間が1番のプレゼントです。
クリスマスの朝、家族への電話はかかさないで続けています。皆様もよいクリスマスを。